近年、顧客等からの罵倒や不当な要求(いわゆるカスタマーハラスメント、以下「カスハラ」)が大きな社会問題となっています。こうした背景を受け、2025年6月に改正労働施策総合推進法が成立し、2026年10月1日から、すべての事業主にカスハラ防止のための雇用管理上の措置を講じることが義務付けられます。本記事では、人事・労務担当者が把握すべき法改正の概要と、企業が講ずべき具体的な対応について解説します。

近年、顧客等からの罵倒や不当な要求(いわゆるカスタマーハラスメント、以下「カスハラ」)が大きな社会問題となっています。こうした背景を受け、2025年6月に改正労働施策総合推進法が成立し、2026年10月1日から、すべての事業主にカスハラ防止のための雇用管理上の措置を講じることが義務付けられます。本記事では、人事・労務担当者が把握すべき法改正の概要と、企業が講ずべき具体的な対応について解説します。
厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査報告書」によれば、調査前の過去3年間でハラスメント相談を受けた企業のうち、カスハラ(顧客等からの著しい迷惑行為)に関する相談があった企業は27.9%にのぼり、パワハラ、セクハラに次ぐ上位に位置しています。
国の法改正に先立ち、東京都では2024年10月に「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」を公布し、2025年4月1日から施行しています。条例では、カスハラを「顧客等から就業者に対する著しい迷惑行為であり、就業環境を害するもの」と定義しており、国の法整備を先取りした形で規制の枠組みを設けました。国レベルでの横断的な法規制が整備されていなかった状況に対応するかたちで、2025年の労働施策総合推進法改正が成立しています。
2025年6月4日に改正労働施策総合推進法が参議院本会議で可決・成立し、6月11日に公布されました。さらに厚生労働省は2025年12月に「カスタマーハラスメントについて雇用管理上講ずべき措置に関する指針(案)」を公表しており、企業はこの指針を踏まえて社内方針の策定、マニュアル整備、教育研修等のカスハラ対策を進めていくことが求められています。
改正労働施策総合推進法は2026年10月1日から施行されます(一部規定は2026年4月1日施行)。施行日までに、事業主はカスハラ対策に係る雇用管理上の措置を整備しておくことが必要です。
改正後の労働施策総合推進法(第33条)では、カスハラを次のように定義しています。
職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、当該労働者の就業環境が害されること
「社会通念上不相当なもの」の判断は、言動等を総合的に勘案して行うとされています。サービス提供者が一般的に下手に見られやすい社会構造があることは事実ですが、当該要求等が社会通念上不相当と判断せざるを得ない場合には、企業として毅然とした対応が求められます。
カスハラ該当性の判断は「要求内容の妥当性」と「手段・態様の相当性」の2軸で総合的に判断します。
分類 | 具体例 |
|---|---|
要求内容が不当なもの | 従業員のプライバシーや性的な要求・契約内容が形骸化するほどの過大なサービス要求・不当な損害賠償請求や著しい減額要求 |
手段・態様が不当なもの | 暴行等の身体的攻撃・威圧的または侮辱的な言動等の精神的攻撃・揚げ足取りや同じ質問の繰り返し等の執拗な攻撃 |
なお、要求内容に妥当性があっても手段が著しく不相当であればカスハラと判断される場合があり、逆に要求内容が著しく不当であれば手段を問わずカスハラに該当しうる点に留意が必要です。
今回のカスハラ対策義務化は、企業規模にかかわらず、労働者が1人でもいるすべての事業主が対象です。大企業はもちろん、中小企業や個人事業主も同様に措置義務を負います。パワハラ防止法と異なり、中小企業の猶予措置(努力義務期間)はありません。施行日の2026年10月1日時点で対策が整っていない場合、行政指導等の対象となる可能性があります。
改正法では、カスハラの行為主体として「顧客」だけでなく、「取引の相手方」や「事業に関係を有する者」が明文化されています。これにより、いわゆるBtoBカスハラ(取引先企業の担当者から自社従業員への著しい迷惑行為)も法律の適用対象となっています。業種・業態にかかわらず、顧客向けのBtoCだけでなく、BtoBの取引関係における言動についても対策が必要です。
顧客等の要求に妥当性があり、かつその手段・態様も社会通念の範囲内であれば、カスハラには該当しません。商品の瑕疵に対する返品・返金要求や、サービス改善の申し入れは正当なクレームであり、適切に対応していく必要があります。カスハラ対策はあくまで「不当な言動から従業員を守る」ことを目的とするものです。
改正労働施策総合推進法では、カスハラ対策義務に違反した事業主に対する直接的な刑事罰(罰金・懲役等)は設けられていません。ただし、措置義務に違反した事業主は以下の行政措置の対象となります。
罰則がないからといって対応を放置することは、従業員に対する安全配慮義務違反(労働契約法第5条)を問われるリスクがあり、損害賠償請求に発展した事例もあります。また、企業名の公表によるレピュテーションリスクも看過できません。
企業としてカスハラを容認しない旨の基本方針を策定し、全従業員に周知することが求められます。また、対外的にも自社のカスハラ防止への取り組みを発信することで、顧客等への間接的な抑止効果が期待できます。
現場の声を集約するためにも相談窓口を設け、その存在を従業員に周知することが必要です。人員の関係で社内設置が難しい場合は、外部機関への委託も有効な選択肢です。なお、カスハラ専用の窓口を新設することが必須ではなく、既存のパワハラ等のハラスメント相談窓口を兼用する形でも対応可能です。
相談窓口を設けるだけでは実効性が十分とは言えません。相談窓口担当者と関係部門(人事・法務・現場管理職等)が連携できる対応フローを整備することが重要です。企業の特性を踏まえた対応手順書を作成し、ロールプレイを含む研修を実施しておくことが実効性向上につながります。
カスハラに該当するか判断が微妙なケースについても、断定的に対応しないよう周知しておくことが重要です。必要に応じて周囲の従業員からも事実関係を聴取し、客観的な証拠確認を行う体制を整えておきましょう。ハラスメントが確認された場合は、被害者の上長が対応を引き継ぎ、担当者の変更等で行為者と被害者を引き離すことが現実的な初動対応です。脅迫等の犯罪に該当する場合は速やかに警察へ通報します。
従業員がカスハラの相談を行ったこと、または相談への対応に協力したこと、事実を述べたことを理由として、当該従業員に対して解雇その他の不利益取扱いをすることは法律上禁止されています。この点についても就業規則や社内規程に明記し、周知することが求められます。
カスハラへの対応は、労働契約法上の安全配慮義務の一環です。カスハラを認識しているにもかかわらず問題を放置することは、最も不適切な対応であり、被害者の心身に不調をきたし休職・退職に発展するリスクがあります。就業規則にカスハラ対策に関する条項を設け、対応基準を明文化することが重要です。
明らかに自社に問題があった場合に顧客が感情的になるケースについても、対応方法を事前に規程化しておく必要があります。当該発言が社会通念上不相当と判断される場合は看過すべきではありませんが、必要に応じて接客対応の慣例や組織風土の見直しも並行して検討することが望まれます。
一度作成した対応マニュアルは、定期的な見直しが不可欠です。見直しのタイミングとしては、経営層からの定期的なアナウンスを契機とする場合と、現場からの声を契機とする場合の2つが想定されます。特に業態転換や新サービス展開のタイミングでは、顧客層やクレームの質が変化するため、過去の相談内容との変化を敏感に察知することが重要です。また、顧客側にも一定の線引きを理解してもらうことも必要で、契約書面への明記や丁寧な事前説明によって、過度な要求が生まれにくい環境を整えることも対策の一つです。
顧客等とのやりとりを録音することは客観的な証拠となる一方、個人情報保護法等の観点も考慮が必要です。偶発的に録音される顧客の個人情報の取り扱いについて、具体的な措置と周知徹底を行うことが求められます。
職場で起きた出来事が後日SNSで拡散され問題に発展するケースが増えています。安易にSNS投稿を行わないよう継続的に啓発するとともに、社内での情報管理ルールを整備することが重要です。
対応の中で険悪な状況になった場合は議論を避け、問題解決に向けた前向きな姿勢を示すこと、時間や場所を変えて冷却期間を設けること、顧客が感情的になっても企業側は丁寧な言葉を保つことが有効です。電話対応では、案件のたらい回しをしない、即答できない事項は事実確認後に折り返す、相手の話を復唱して確認するといった対応が基本です。夜間帯は感情的になりやすいため、可能な限り対応を避けることも選択肢として有効です。
カスハラが発生した際、焦って全面謝罪をしてしまうことは後の対応を複雑にします。以下のステップで冷静に対処することが重要です。
ステップ | 対応内容 |
|---|---|
1. 限定謝罪 | 全面謝罪は避け、「不快をおかけした点」に限定して謝意を示す |
2. 事実確認 | 顧客の主張に一旦反論せず、不足情報を追加確認しながら整理する |
3. 報告・対応 | 情報が整理でき次第、上長・関係部門へ報告し組織として対応する |
被害者への配慮も忘れてはなりません。対外的な対応に注力するだけでなく、すでにメンタル不調が生じている場合はケア的な対応を並行して進めることが求められます。
カスハラ対応は、実際に遭遇して初めて動揺するケースが多いため、ロールプレイ形式のシミュレーション研修を事前に実施しておくことが有効です。また、定例会等で個人が特定されない形でヒヤリハット事例を共有し、多発するトラブルはマニュアルに落とし込んで研修内容をアップデートしていくことで、対応品質を継続的に高めることができます。
カスハラは、大きく3つの範囲に影響を及ぼします。
従業員への影響:パフォーマンスの低下、現場への恐怖感による欠勤・休職、最悪の場合は退職に至るケースも少なくありません。
企業への影響:カスハラ対応に費やす時間(顧客対応・社内協議・専門家相談等)のロスに加え、放置した場合の企業イメージ低下、安全配慮義務違反による損害賠償リスクがあります。多くの業種で人材確保が困難な現状において、カスハラ対策に本腰を入れている企業は採用面でも優位性を持てます。
他の顧客等への影響:業務遅滞による通常サービスの低下、風評によるイメージ低下が生じます。
カスハラ対策は、法改正への対応というだけでなく、従業員の就業環境を守り、組織の持続的な成長を支える経営課題です。一度整備したマニュアルは定期的に見直し、現場の声や相談事例の変化を反映させながら、継続的に実効性を高めていくことが求められます。
対応に迷う事案が生じた場合は、社労士・弁護士等の専門家への相談も積極的にご活用ください。
本記事は2026年3月時点の情報に基づいています。最新の指針・通知については厚生労働省のウェブサイトをご確認ください。

株式会社Enigol
千葉経済大学経済学部経済学科卒業。東京都社会保険労務士会所属(登録番号 第13190545号)。 都内医療機関において、約13年間人事労務部門において労働問題の相談や社会保険に関する相談を担ってきた。対応した医療従事者の数は1,000名を超え、約800名の新規採用者、約600名の退職者にも対応してきた。社労士独立後は労務トラブルが起こる前の事前予防対策に特化。現在は様々な労務管理手法を積極的に取り入れ労務業務をサポートしている。また、年金・医療保険に関する問題や労働法・働き方改革に関する実務相談を多く取り扱い、書籍や雑誌への寄稿を通して、多方面で講演・執筆活動中。